禅語 「放下着」

皆様

こんにちは

瞑想している風に見せかけて

顔を ペチペチ 叩きながら

眠気と闘ってます笑

(全然、瞑想してません笑)


今日から

屋久島に行っておりますので

メールのお問い合わせなど

少し返信が遅くなると思います

追って連絡しますので

お問い合わせ

お待ちしております


今回の禅語は

「放下着」





「ボウゲジャク」と読みます



ある時

厳陽(ゲンヨウ)という僧が

「一物不将来の時何如」
(イチモツフショウライノトキイカン)

『私は 悟りのために
 全てを 捨てて 何も 持っていません』

『この先 どんな 修行を
 すれば よいのでしょうか?』

と 趙州(じょうしゅう)禅師に

問います


それに対し 趙州禅師は


「放下着」(ボウゲジャク)


『捨ててしまえ』と 答えました


厳陽は

「已に(すでに)是れ一物不将来、
 這(こ)の什麼(なに)を
 放下(ぼうげ)せん!」


『ですから!
 私は無の境地を悟り、
 何も持っておりませぬ。

一体 何を 捨てたら 良いのでしょう!』


とたたみかけました。



すると

趙州禅師は

「淫麼(いんも)ならば
 即ち(すなわち)
 担取(たんしゅ)し去れ」
(なら、担いでいけ)

と 答えます


ここで 初めて 厳陽は 気づきます

捨てた という 意識を

捨てていなかったこと 


無一文になって

悟りを得た という 執着を
持っていることを。


人は 欲望や 夢、

時には 人間にさえも

執着してしまいます


その 「執着心」にこそ

悩みの 発端が あるのです





何もない と 思っている
気持ちさえ 執着になる。


すごいですね、、、

これこそ
悟りの境地といったところでしょうか笑


この言葉を選んだ理由は

この「執着心 を 捨てる」ところです

私も 自分自身が
こだわりが 強いので笑

そのこだわりを捨てる ことが
自分の人生のキーワードに
なっているなと感じています

「喜捨」もその思いから 選んでます

人に 物に あること に
執着すると苦しみを 生み出します


自由な心、自由な発想ができるようになるには

執着は この上ない 邪魔な存在・・・


私は 執着を捨てれるのか

捨てたと思う気持ちさえも

含めて・・・







 

こぼれ落ちる 砂のように

サラサラと 捨て去れたら いいですね




それでは 今日はここまで



次回は

「善因善果 悪因悪果」



最後まで お読み頂きまして

有り難う御座います



皆様にとって

素敵な一日でありますように




:髪を大事にすること

:人を大事にすること


髪屋 美粧師 郁

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